入学式が済んだら記念写真を撮った。当然、入学記念の写真だと思ったら大間違いだった。卒業記念の写真であった。何でも、卒業するまでに、多くの生徒が退学するので、今の内に全員の写真を撮っておくのだそうである。
卒業迄に、私のクラスは一人、となりのクラスは5分の2、その隣は5分の3の生徒が退学した。理由は、クラスの人間関係の不調が大部分で、残りは、本人の都合であろう(多くの生徒は、各理容店で、住み込みで働き、そこから通学していた)
私は思った。クラス編成の際、学校は入学生を、学力も人間性も偏らずに各クラスへ平均に分けたと思う。それが一年経つと、クラスによって、どうしてこんなに差があるのか?
各担任の先生達は、真面目に努力していたが、それ以上に先生の資質によるところが大きかったのだろうか。
今になって思うに、退学して、即ち、若い内に理容業をやめて良かった、という人のほうが多かったかもしれない。人生の不思議なところである。
私が言いたいのは、偶然にどの先生に当たるかは運である。しかし、理容学校へ行くのは本人の自由な意志である。本人が選択したのである。
それに比べ、義務教育は、その地域に住んでいれば、その地域の学校へ行かなくてはならない。何処々の学校へ行こうと思ってもその自由はない。一般市民には、学校、先生を選ぶ権利はないのだ。強制的に選ばれるだけである。大部分の先生は真面目で一生懸命に子供の幸せを願って日夜健闘しているが、中には「課外授業の好きなハレンチ先生」もいる。親としては、そんな先生に当たらないようにと思っても、如何せん、先生を選ぶという権利が法律上無いのである。
理容学校が一般の学校と違うところは、クラスに色々な年齢の人が混じっていることだ。私のいたクラスは、年齢16歳から26歳の人達がいた。何時の間にか、皆が父母、兄姉、、弟妹、になっているのである。皆、仲が良かった。担任のクラス運営が上手かった事もあると思う。
理容学校を卒業して数年たった頃、私は担任に「私の今日在るのも先生の御蔭です。有難う御座いました」と、いうような内容の手紙を出した。暫くして返事が来た。
「御礼を言うのは此方です。皆さんがいたから、私は先生をやってこられたのです」と、いうような内容だった。それ以来、私は先生の方へ足を向けて寝られなくなった。