理容専門学校へ入学して二日目、担任のN先生が「これから席順を決める、皆さんに意見が無いなら私が決める」と、言った。私は咄嗟に、N先生は年輩なので右半分男、左半分女という席順になると思った。そうなってはつまらないと思い、挙手した。先生に言った「男と女を前後左右入れ違いにサンドイッチになるようにして下さい」クラス中に歓声が上がった。先生は私の提案をすんなりと受け入れた。
この理容専門学校は理容組合が作っている。生徒の大部分は、理容組合員である理容店店主の店から通学している。生徒も一人前になりその後独立すると店主になる。その店主の弟子が学校へ行けば、店主はPTAになる。即ち、ついこの間迄生徒だった人が、僅かの間にPTAになるのである。
ついこの間まで理容専門学校の先生に「先生」と言っていた「生徒」が、瞬く間に「PTA」になると、今度は理容専門学校の先生から「先生」と呼ばれるのである。
理容専門学校の先生の処遇は理容組合の意向で左右される。言うならば、理容専門学校、理容組合、生徒は所謂「三竦み」の状態なのである。じゃんけんなのである。理容専門学校、理容組合、生徒が時には「ぐー」になつたり、「ぴー」になったり、「ぱー」になったり、立場が変化するのである。
私が通学していたころの学校の教職員はかなりの人数であった。校長は、隣の区の町医者でちょび髭をはやした人であった。皮膚科学を教えていた。岐阜県で薬局を経営していた初老の人は消毒法、獣医は生理解剖学、伝染病学、担任のN先生は理容理論と実習を教えていた。その他,香粧品化学、理容法規、社会等色々な科目の担当の先生、事務職員多数とがいた。
私が卒業して数年経った頃「理容専門学校の入学者が激減し」その結果「理容専門学校が倒産の危機に瀕した」のである。そこで理容組合幹部は職員の首切りを断行した。(当時はリストラという言葉は無かった)
理容組合幹部は、誰の首を切るかを決める時、真っ先に「威張っているという理由」で、校長を決定した。それから順次首切り対象者を決めた。
私の担任だったN先生はそれまで平だったが校長になった。先生は常日頃、理容組合幹部に対しては頭が低く、たえず気を使っていた。また、真面目で理容組合員にも教え子が大勢いた。人柄だけではなく、そういった事も影響したのかも知れない。
昔から理容専門学校では、生徒の各店での定着率を高める為、年に一回、「生徒の代表(希望者)が思った事を忌憚無くカセットテープに吹き込み」それをPTAに「参考」の為に聞かせるという催しをしていた。私の在学の時もあった。一部の生徒ではあるが、面と向かって店主には言えないことでも相手がカセットテープという気楽さで「悪口を言いたいだけ」言っていた。
N先生が校長になり、恒例のこの催しをした時、或るPTAが「此れからは、生徒が(理容)学校の先生に言いたい事をカセットテープに吹き込み、それを先生や我々PTAで聞く催しも毎年しよう」と、提案したのである。
昔、私の担任だったN校長は「真面目で理想家肌の人であった」ので、この提案を受け入れた。そして「実行」したのである。
その後、毎年恒例のこの行事はどうなったか知らないが、N校長はこの後暫くして平の教員に降格されたそうである。聞くところによると、教職員が付いて来なくなったそうだ。
こんな事があれば、普通は学校を辞める。しかしN先生は辞めなかった。いや、正確には辞める事が出来なかったのである。理由は「家族の生活の為に我慢したのである。また当時、息子の理容店には借金があった」テレビドラマだと失意の内に辞職するシーンであるが、現実にこれをしたら家族中困ってしまう。男は家族に対して無責任な事は出来ないのである。大きな耐え難い事があっても家族の為には我慢する。私は、N先生は真の勇気ある男だと思った。勿論、屈するのも伸びんが為であるという条件付ではあるが。