私はこの店に入り、三年間というもの、朝から晩まで先生からぼろ糞に言われ続けてきた。他の人は何も言われないのである。いい加減うんざりしていた。終いには慣れてしまい何を言われても右から左へ抜けて、へっちゃらになっていた。しかし、そうなるまでには色々とあった。
偶然、主任の助手をしていた。御客が主任に話しているのが聞こえた。
「私は今まで大勢の人を使ってきた。不思議な事に店で一番役に立たない者が独立すると、必ず成功する。どうしてか分からない。」と言っている。
この人は戦後、名古屋で、一代で有名な飲食店を数店つくった人である。初老の貫禄のある人で、しかも、少しも威張っていない人であった。
言葉とは不思議なもので、私は、この言葉を聞いて俄然元気が出てきたのである。偶然聞いた事が、その後の私の人生に、どのくらいプラスの影響を与えたか、実に計り知れない。
大部分の人は、20歳になってから小学校の教科書を見ると、こんな簡単な事だったのかと思うだろう。要は人によって、成長の度合いの早い人、遅い人があるというだけの事である。米でも「早稲」があり「晩稲」がある。収穫の時期が早いか遅いかの違いがあるだけで、時期がくれば、どちらも立派な米になる。人も米もたったそれだけの事である。ほかに意味はないのである。
その事に対して、昔、「落ちこぼれ」という言葉が流行った事がある。誰が、どういう目的で、全国に流行らしたのか知らないが、小学校低学年の時に、少しばかり呑み込みが悪いからといって、「落ちこぼれ」とは、酷い事を言ったものである。どれだけ大勢の人が傷ついた事か。
その後「およげたいやきくん」という歌が大ヒットした。大正時代に流行った「船頭小唄」の子供バージョンである。当時、この歌が小学生に流行ったという事は、当時の子供の気持ちが、招来に対して希望を持っていない事を証明すると思う。子供の中に無力感が漂っていたと思う。普通、子供は無邪気なものである。大人の世界はともあれ、子供の目は輝いているはずだ。昔、大正時代に大人の世界で流行った歌が、形を変えて子供の世界で流行ったことを、当時の教育の専門家はどのように分析したか?それに対してどの様に考えたか?知りたいものである。
昔の先生は、生徒をけっして、けなさなかった。むしろ大器晩成型と言って、親子共々褒めてくれた。事実、周りを見回すと、けっこう大器晩成の人は大勢いるのである。
近所の子供が「有名私立中学」へ入学した。暫くして調髪に来たので、学校の授業について聞いた。国文法の授業の話をしてくれた。内容は覚えがないが、私は、国文法が大嫌いで学校ではまったく勉強をしなかったのであるが、その子供の話を聞いている内に、文法が好きになってしまった。俺も勉強しようと思ったのである。今更勉強しても、しょうがないという事は分かっているのだが、それでも勉強しようと思ったのである。
私は思った。この学校は生徒に勉強をしなさいとは一度も言わない。この学校の授業は、生徒が勉強を好きになるように仕向けるのが授業なのだと思った。