明治の断髪令以降、一時の混乱期(散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がするという言葉が流行った頃)を除き、日本の男性社会は短髪でキッチリとした髪型が主流であった。したがって、月に一度は理容店に行かなくてはならなかった。これは社会人として当然であるとされていた。したがって、髪の長い人は貧乏だからだと軽蔑された。また、女性は慎み深いのが美徳とされ、当然スカートも長かった。そこそこの長さでも「はしたない」とされた。
ところが、昭和41年(1966)、イギリスよりビートルズが来日した。ビートルズは長髪である。また翌年、イギリスよりツイッギーが来日して全国でミニスカートのファッションショーをした。以来、若い男性の殆どが髪を伸ばせるだけ伸ばし、若い女性はスカートを出来るだけ短くした。まもなく小母さんも短くした。あっと言う間であった。この流行は数年続いた。
若い男性は理屈抜きで、髪を伸ばす、伸ばす、出来るだけ長く伸ばすであった。若い女性は、スカートを短く、短くであった。(ちなみに、その頃の若い男女が今のお年寄りである)当然、ヘアースタイルの事で、親子、学校、職場で争いが多発した。中には裁判もあった。いわゆる長髪裁判である。店にはお年よりも若い人も来店される。親子で喧嘩されても困るので仲裁の方法を考えた。
私は、歴史が好きなので歴史に参考例がないか調べたら、あった。それは、幕末、尊王攘夷論の盛んな頃、突然、丁髷をやめ西洋人のヘアースタイルを真似た人がいたら、確実にその人は殺されただろう。ところが、明治になって断髪令が施行されたら、今度はそれまでの丁髷を止めない人は、警官に無理やり切られ、強引に西洋式の頭にさせられた。これは、僅か数年の間の出来事である。数年の間に社会の評価が180度変わったのである。
私はこれを利用した。父親が来店した時に「今度息子が来たら短く切ってくれ」という父親は多かった。もし、切ったら息子は二度と来店しない。それでは困る。そんなときは、この話しをした。殆どの父親は理解した。
その頃の若い人が今のお年寄りである。人口の4分の1である。昔、日本中老いも若いも平均すれば年に10回は調髪をした御客が、今は年に4回ぐらいである。可也の理容店が市場から消えた。これも時代の流れである。私ももうじき市場から消える。骨付きもも肉の照り焼きも、肉を食べられ骨だけになれば後は捨てられるだけだ。当然の事だ。いつの時代も同じだ。もう疲れた。新しく美味しい肉をつける努力はしない。
昔の年寄りは若い人の為に隠居した。私は、現在少ししか仕事をしない。その分、同業の若い人に仕事を回す。それで良いと思う。