昔、家風呂の普及で銭湯が暇になりかけた頃、マスコミは下町の人情とか裸の触れ合いとか言って銭湯を絶賛していたが、果たしてそうだろうか?
私の若い頃は殆どの家に風呂が無く、皆、銭湯に行った。いつも満員であった。お祭りのようであった。ところが家風呂の普及に伴い徐々に空いてきた。こうなると(入浴中)お互いに目が合いすぎるので、それまでの気楽さが無くなり必要以上に気を使わなくてはならなくなった。誰もがそれを感じた。したがって、気まずくなる人とは会わないようにお互いに銭湯へ行く時間をずらすのである。
分かりやすく言えば、大きな喫茶店は気楽に入れる。入り口でなにげないポーズで左右を見て、気楽さを感じない人を見れば何食わぬ顔で反対へ行く。気楽だ。ところが小さな店はこれが出来ない。その店の常連か、全くその店を知らない人しかその店には入れない。飲み屋でもどこでも人の集まるところは全て同じだ。余談だが、御客の数は一般的にその店の広さに比例する。
近所の商売屋は、仕事が終わってから気を使うのはいやなので、遠くの銭湯へ行く人もいた。近所のスナックのママさんは家風呂を作ってからは一度も銭湯に行かないと言っていた。こうして、銭湯はますます暇になった。それと共に皆さんはますます気を使うようになった。それに耐えられない人から、家風呂を作るか顔見知りに合わないですむ遠くの銭湯へ行った。
店が終わって銭湯へ行くと多くの御客に会う。今は来店しなくなった御客にも会う。来店したり他店へ行ったりを繰り返す御客にも会う。色々な御客に会う。別に御客が嫌いな訳ではないが、気を使うのは疲れる。長い間、両親は家風呂を作るのを反対していたが、母が亡くなり、父が入院した時、私はチャンスとばかり、粘って粘って父の了解を得、家風呂を作った。
その事で、仲のよい商売屋の二代目が言った。いや、正確に言えば私と同じ二代目候補である。その人の仕事は私より遙かに人間関係の希薄な仕事であるが、それでもぼやいていた。その人は私より遙かに年上の50歳代で、商工会の役員をしている。娘が三人いた。「家風呂を作りたいのだが親父が頑としてきかないので出来ない」と言っていた。小学生と中学生の娘である。「娘だから銭湯へ行けない時でも、家風呂があればせめてシャワーでも出来るのにそれも出来ない。それが悲しい。それに、家風呂だと7人家族で、一日2000円以上いる。1年で約73万円。10年で約730万円、これは大きい。家風呂を作るのに100万円掛かるとして、その後幾等水道光熱費を使おうが10年で730万円も使わない。家風呂にすれば儲かるのだが親父にいくら言ってもだめだ」と、言っていた。
マスコミの言う下町の人情も裸の付合いも本当は結構疲れるのである。